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私は言う「介護者は考える杖である」
介護の「介」は媒介の介だ。
老人が生活の主人公になるために自分を媒介にすること、つまりきっかけになることだ。主体はあくまで老人の側でなくてはならない。これが医療や安静看護との違いであり、難しさ、奥深さでもある。
やさしく言えば老人にとっての杖(つえ)になればいいということだ。
でも杖になるのはけっこう難しい。長さは一人一人の体格に合わせなきゃならないし、必要なときにそばにいなくては役に立たない。でもこの杖は単なる杖じゃない。だって人間がやってるんだもの。
婆(ばあ)さんが転びそうなときにはさっと手を出して支える杖だ。ずっと寝たままの爺(じい)さんには「元気がないね、散歩に行きませんか?」と話しかける杖だ。
老人が主体だけどこちらも使われるだけの道具じゃなくて、やはり主体なのだ。主体と主体が交錯する場が介護の現場だといえる。
老人の手を持って立ち上がらせるとしよう。手の甲の方から握って引き上げるようでは介護者として失格だ。
それでは主体は介護者側にあるからだ。いつ離そうが介護者の勝手だから老人は不安でしょうがない。そこで残った手で何かを握ろうとする。奪われた主体性を回復しようとするかのように。そうなるといくら力を入れても立ちあがってはこない。
握手するのが介護だ。しかも老人が介護者の手をしっかりと握り、介護者は軽く握り返す。危険を感じたときだけ強くすればいい。これがお互いが主体になるということだ。
パスカルは、「人間は考える葦(あし)である」と言ったが、私は言う。「介護者は考える杖である」と。
三好 春樹
「完全図解 新しい介護」(講談社)より
私たちの目指すもの
あなたとともに
榎本 真太郎
理事 株式会社 Threeplus 代表取締役
植 賀寿夫
理事 フィレール 代表
金岡 重則
理事 宅老所 生き活き家 代表
高井 正博
一般企業サラリーマン
輝ける未来へ
一般社団法人 考える杖
代表理事 三好春樹 挨拶
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